アメリカには、現代文明の恩恵を拒みながら生活するアーミッシュという人たちがいる。
そんな自給自足を続けるアーミッシュ村を観光するのは、大変興味深い。
今回は少し前のことになるが、2012年6月に、イリノイ州アーサーという町にあるアーミッシュ村に遊びに行ったときのことを紹介する。
はじめに―なぜいまさら8年半も前の旅行記⁉
コロナ流行の中、旅行していない
travel-log.netというアドレスと「旅のブログ」というタイトルで、ブログを開設してから10日ほどが経った。
生活のことも分け隔てなく書くときめたものの、開設以来書いた数本の記事はすべて、生活のことである。
ブログタイトルは、旅が好だからのことだし、少し余裕ができたころに前身のGOOブログから100本ほど書き溜めた旅行記を含め記事を引っ越して来るつもりもある。
ただ、残念ながらコロナ感染症の流行のため、この1年はまるっきり旅行をしていないのである。
過去の旅行についても、遡って書くことにした
そこで、1年半前のシカゴ旅行について書きそびれていることを書こうと写真を整理していたところに、「家族で行ったアーミッシュ村のことを書いたら⁉」、と妻が言い出したのである。
家族で行った古い旅行で、旅行記にしていないものもある。時間が経っているから細かい事情が変わっている場合もあろうが、面白く読んでもらえれば幸いである。それに、観光地のことは大筋は変わらないだろうから、古い旅行のことだと覚悟して読んでもらえば、読んでいる方に役立つこともあるかもしれない。
それ以上に、思い出しながら書くのは間違いなく旅行を2度目に楽しむことになるから、私としてもうれしい限りである。妻の一言に背中を押してもらった形だ。
アーミッシュとはどういう人たちか
以下、私の理解をウィキペディアを読みながら補強した上で、アーミッシュとはどういう人たちか、簡単にまとめる。
アメリカの新興キリスト教の流派について
キリスト教はカトリックとプロテスタントに大別されることは、大抵の人は知っている。
けれども、アメリカには独自に発達した新興のキリスト教の一派がいることは、日本ではあまり知られていないように思う。
モルモン教は、イリノイ州で近隣住民と軋轢の末、ユタ州ソルトレークに移住した、アメリカで生まれた新興のキリスト教一派である。現在はアメリカ合衆国の人口の5%を占める一大会派だ。
アーミッシュもキリスト教徒だが、こちらは信者数30万ほどの集団である。
現代機械を受け入れないアミッシュの生活
アーミッシュはもともとはドイツ系の移民が主体で、ペンシルバニア州やオハイオ州に多く居住している快楽を禁じる厳しい戒律の宗教集団である。宗教的発祥はヨーロッパでのことのようだが、現在の主体は北米大陸である。
現代の機械文明を利用することを禁じていることが有名で、自動車は使わず、馬車を移動手段としている。基本的に電力も利用しない(蓄電池くらいは使用しているようだ)。
ジッパーも禁止で、木製のボタンを利用した衣類を着用している。
一般社会との接点
アーミッシュの生活は、村の中で閉じた自給自足である。
結婚もコミュニティ内で相手を見つけるということで、閉鎖的なコミュニティのように言われることもある。もっとも、一般社会と密接な関わりを持ちながらでは、この生活様式は維持できないだろう。
とはいえ、アーミッシュ家具といえば、手作りで丁寧に作られた家具として一般社会で評判が高い。近隣社会との商業上の交流は、しっかりあるのである。
若年のうちに一定期間(1年くらいか)、アーミッシュ社会を出て一般社会で暮らす者もいるということである。決められた期間が終わるとアーミッシュとしての生活に戻っていくというのだが、若者がどういう心境で元の生活に戻っていくのか、非常に興味深い。
イリノイ州アーサーでのアーミッシュ観光
アーサーの町とアーミッシュ人口
私たちが訪れたイリノイ州アーサーは、シカゴから南に300kmほど、自動車で3時間ほどの場所にある町である。
イリノイ州は平らな土地である。シカゴは大都会だが、300㎞も離れるとほとんど360度にわたって平らな地平線が見渡せる広々とした風景である。アーサーの町は、そんな大平原にある。
アーサーは人口2200人ほどの町で、周辺も含めるとアーミッシュの人々が4000人くらい居住している。イリノイ州では最大のアーミッシュ・コミュニティである。
といっても、アーサーの町自体がアーミッシュ・コミュニティなわけではない。舗装道路があり、自動車も普通に走っている普通の田舎町だ。
ただ、アーサーの町に入るや一台の古めかしい馬車がのんびり通り過ぎて行った。やはり、アーミッシュの人たちが近隣に住んでいるのだ。
アーミッシュ・テーマパーク Rockome Gardens
アーミッシュは自給自足のコミュニティだとは言っても、完全に孤立した社会ではない。一般社会との接点はあるし、「アーミッシュ観光」はアメリカではある程度ポピュラーな行楽のようだ。
ただ、私たちには、アーミッシュ住民の家での生活の様子を、覗かせてもらうようなツアーは、見つからなかった。
その代わりに、Rockome Gardensというアーミッシュのテーマパークを見学してみた。
テーマパークに入ると、小石をセメントで固めた柵に囲まれた美しい庭園があった。
小石の塀に囲まれた中のラベンダー畑は大変美しかったが、庭園の外の芝生の庭は、アメリカ中西部の見慣れた風景であった。
建物も、いたって平凡な米国中西部の様式である。
とくにアーミッシュ村だからと言って造りに違いがあるわけではないが、馬車が主要な交通手段であるアーミッシュの人々にとって、厩舎は生活の重要な一部なのだろう。
テーマパーク内には、1960年代まで使われていた小学校の教室が展示されていた。アーミッシュと近隣住民の子供たちが一緒に授業を受けていたという。ただこれも、19世紀を扱った映画に出てくる小学校の教室と、同じような風景である。
こうして写真で見返してみると、残念ながら、アーミッシュ文化の特異な様子はテーマパークではほとんど見ることができなかった。
アーミッシュ特有なものが垣間見えたのは、ディスプレイとして置かれていた古ぼけた馬車と、物干しにかかっていた女の子用のドレスだけであった。
たぶん、逆なのであろう。
現代文明の便利さを排した生活や、彼らの特有の馬車や服装から、私たちが奇異な風景を想像し過ぎていただけということなのだろう。
アーミッシュの人々も同じ米国の住民なのだ。同じような風景の中、同じような家にを構えて生活しているのは当たり前だった。
現代のアーミッシュの家族
テーマパークを見終わった後で、夕食を食べにレストランに入ろうとしていると、アーミッシュの一家が馬車を店の前に止めるところに出会った。
幌のないオープンの馬車に、男性はサスペンダーでズボンをつっており、女性は淡い色のドレスにほっかむりをしている、絵にかいたようなアーミッシュの家族だ。
「写真撮らせてもらっていいですか?」と聞くと、「構わないよ」と鷹揚に言いながら、そのままそそくさと身支度をして立ち去って行ってしまった。
次の写真は、アーミッシュの一家がダラー・ジェネラル(チェーンの雑貨店)に買い物に入って行く図に見えるが、ダラージェネラルが閉店したあとに入ったアーミッシュ経営のレストランである。
アーミッシュの絶品のフライドチキン
この日、私たちが夕食を食べたのは、上の写真のRoselen’s Coffees & Delightsの並びのレストランである。
アーサーの町中にあり、アーミッシュの伝統料理を出すというレストランで、Yoder’s Kichenという店。メニューにはフライドチキンが名物と書いてある。
アーミッシュの一家に気を取られていたとはいえ、店構えも店内の様子も、なにも写真を残していないのが痛恨である。もっとも、私は同じ痛恨をしょっちゅうやらかしている。
この時に食べたアーミッシュのチキンは、チキンなのに肉の味がしっかり濃く、私たちにはこんなにおいしいチキンは食べたことがないというくらい、ショッキングなくらいおいしいフライドチキンであった。8年も経っているというのに、いまでも妻との話題に上るくらいにおいしかった。
アーミッシュは、伝統的な農法による農耕の民である。そんな彼らは、自然のままに鶏を飼うのだろうし、それがおいしい鶏肉を生産する秘訣なのだろう。
私の脳裏には、皿に山盛りのフライドチキンの画像がはっきり写り込んでいたのだが、ハードディスクから出てきた画像ファイルは、ターキーブレスト、T-ボーンステーキとフライドチキンのアソーテッド・プラッターであった。
このレストランでは、欲張りな私はいろいろ食べられるメニューを、妻はフライドチキンばかりの皿を注文したのだった。
8年半の歳月が細部をすこしボカシてしまっているとはいえ、私にとって人生最高のフライドチキン体験は、いまでもアーミッシュのフライドチキンである。
まとめ
アーミッシュ・コミュニティに隣接したイリノイ州アーサーの町を観光したときの旅行記である。
- アメリカで、電気、自動車など現代機械文明の恩恵を拒みながら居住する宗教集団アーミッシュについて紹介した。
- 8年前にアーサーを訪れ、見学したアーミッシュのテーマパークを写真入りで紹介した。思いのほか、普通の生活風景であった。
- アーミッシュの伝統料理レストランで、最高においしいフライドチキンを食べた思い出を紹介した。
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