【クリスピー・クリームの店内工場】アメリカで復権したクリスピー・クリーム・ドーナツのエリー店

ナイアガラ・フォールズ2019

アメリカ、ペンシルバニア州エリーの町にあったクリスピー・クリームの支店では、店内で揚げたてのドーナツを売っていた。
ほとんど全自動の店内ドーナツ工場は、われわれ客が見学できるようになっている。
そんなお店の中の小さな工場の様子を、本記事では紹介する。

クリスピー・クリームの歴史についても調べてみたので、記事後半でまとめます。

春にナイアガラ旅行をしたことを、しばらく前からシリーズで書いている。
今回の記事の内容は、シカゴに向かう帰り道に通りかかった、ペンシルバニア州エリーの町でのこと。

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アメリカでは経営破綻していた2000年代のクリスピー・クリーム

エリーの町で一泊したあとホテルを出たら、クリスピー・クリーム・ドーナツの店があった。

日本上陸後の大ブームと、それに先立つ全米展開時の勢い

クリスピー・クリームは、2005年ごろに日本に上陸したが、大ブームを巻き起こしたのを報道で見た覚えがある。
いまでも都心部を中心に40店舗ほどを展開しているらしい。田舎暮らしの私たちにはずっと縁のない話なのが残念だが。。。

クリスピー・クリームが本格的に全米展開したのは、日本上陸のほんの3-4年前だったと思う。私が初めてアメリカに住み始めた2000年のころには、すくなくともシカゴ近郊ではダンキン・ドーナツしかなかった。

新しく進出してきたクリスピー・クリーム・ドーナツの美味しさが一頃ずいぶん話題になったこともよく覚えている。ドーナツを買う列に並ぶと、「メニューを見ながらどうぞ」と言って、揚げたてのドーナツを一つサービスしてくれるのも素敵だと思ったし、ふんわり柔らかく甘いドーナツが本当に美味しかった。

経営破綻と店舗縮小の波

ところが、日本で大ヒットしていたのと同じころに、アメリカでは経営不振に陥ったとかで、全米展開していた支店の多くを畳んでしまったのだ。
私たちが住んでいたシカゴでは、高速道路のパーキングエリアの店舗だけになってしまったのだった。

(本記事の最後に、クリスピー・クリームの歴史、経営不振とその後の再生について、調べたことを書いたので、興味があったら読んでもらえると嬉しいです。)

店舗内にドーナツ工場があるクリスピー・クリーム

今回の旅行中に、パーキングエリアやガソリンスタンドに入っているのでない、独立のクリスピー・クリーム店舗を見つけて、とても懐かしく思った。

クリスピー・クリームといえばオリジナル・グレーズド

クリスピー・クリームでの一番のシグナチャー・ドーナツは、ドーナツを甘い砂糖でコーティングした「オリジナル・グレーズド」(original glazed)というドーナツである。
このとき私たちは、グレーズドばかり半ダースも買ったが、家族3人であっという間に食べてしまった。

店舗内ではオートメーションのドーナツ生産ラインを見学

今回のエリー店は、ドーナツを作る過程をわれわれ客が見学できるようになっていた。
クリスピー・クリームといえば、揚げ立てのドーナツを売ってくれるわけだから、かつて私が行ったことのあった店でも店内で揚げていたのであろうが、こうしたディスプレイを見た覚えがない。
ドーナツの生地の入った容器を店員さんがセットすると、あとは、ベルトコンベヤーに乗って、ドーナツが出来上がるまでの工程を楽しむことができるようになっていた。

生地の発酵

チェーンが付いているのは、ドーナツ生地を上下に動かす仕組みだ。
温かい空気によく当て、発行を促進するための上下運動のようだ。

ドーナツの底面を揚げる

次の写真では、白い生の生地しか見えない。
ただし、これら生地は熱い油に浮いており、下になっている側面は揚げている最中である。
一番左端の機械のなかで、どういう仕組みかわからないけれど、ドーナツは反転して出て来る。

ドーナツの反対の面を揚げる

前の写真で左端にあった機械が、次の写真では右端に写っている。
ご覧のように、この機械から出てきたときには、ドーナツが反転しており、揚がった面が上になっている。
写真の左半分では、ドーナツが油から出て、金属の網の上で油を切っている様子も見ることができる。

グレーズを付ける

揚がったあと油を切ったドーナツは、次の写真の中ほどにある、グレーズ機を通ることでグレーズされる。
グレーズ機は、パイプが繋がっている機械で、そこから下に向けて、白いグレーズ液(砂糖水)が平面的に降っているのがわかる。

このあと手作業を経て、ドーナツは店頭に並ぶ

このあと、ドーナツはベルトコンベヤーの上で乾燥のために店舗を半周し、店員さんが1~2人いる作業台に到着する。

作業台では店員さんが、ソースを塗ったりトッピングを載せたり、手作業でデコレーションの仕上げする。
仕上げを経たドーナツは、ほんの5メートルほど離れた店頭にそのまま並ぶという仕組みだ。

思わぬ工場見学に、大満足

ドーナツの生地を発酵させ、片面を揚げ、ひっくり返し、反対の面も揚げ、最後に砂糖のグレーズを付けるという、ほぼ全行程を無人のベルトコンベヤーが行っている。
店内がちょうど空いていたので、じっくりと見学することができて、8歳の息子も私も大喜びだった。

クリスピー・クリームの歴史

(2021年3月追記)

本記事を新サイトに引っ越すのに合わせて、クリスピー・クリームの草創期から、全米での店舗閉店、そして最近の再生に至るまでの歴史について、調べてみた。
私が理解した範囲で、以下にまとめるので、興味があったらおつきあいください。

創業の歴史は1933年まで遡る

クリスピー・クリームの創立者ヴァーノン・ランドルフが弟とともに、ケンタッキー州パデューカの町にあった叔父の雑貨店で働きだしたのは1933年。
この叔父イシュマエル・ランドルフが店で売っていたドーナツが評判がよく、そのレシピが、ヴァーノンに引き継がれたということである。

叔父と甥たちの店が大恐慌下にテネシー州ナッシュビルに移転したりしたのを経て、ランドルフは、1937年にノースカロライナ州ウィントン・セーラムにドーナツ屋を開店した。
83年前のことである。

クリスピー・クリーム日本支社のホームページなどを見ると、会社としての創業年は、この1937年となっている。

創業地選びのエピソード

ランドルフがウィンストン・セーラムを創業の地に選んだのは、お気に入りだった煙草キャメル(Camel)を製造するJ.R.レイノルズの所在地だったからだという。
時代を感じさせるエピソードである。

ちなみに、J.R.レイノルズは、ウィンストンも、セーラムも、煙草のブランド名として登録、製造している。
クリスピー・クリームの本社は、いまでもウィンストン・セーラムに置かれている。

成長と全米、そして世界への展開

クリスピー・クリームは着々と成長し続け、1960年代にはアメリカ南東部ではチェーン店化して人気を博していたとのことである。

全米展開を始めたのは1990年代である。2000年に株式上場も行い、2001年にはカナダに初の在外支店を出店している。
2004年には、全部で400店舗近くに増えていたとのことである。

日本には、2006年に上陸した。

2000年代半ばの業績不振

しかし、2000年代半ばに、クリスピー・クリームは経営不振に陥る。同時に、経営上の問題があって証券取引委員会が調査に入ったこともある。
事業拡大が急速過ぎて供給が飽和してしまったからとも、経営上に不正が疑われたとも言われている。

この経営不振を受けて、全米各地の店舗を閉店してしまったことは、先に述べた通りだ。

買収、上場廃止と再生、そしてNASDAQ上場

クリスピー・クリームは、2016年にJABホールディングスに買収された。同時に、上場も廃止になった。

JABホールディングスというのは、Peet’s Coffee、Caribou Coffee、Einstein Bagels、Panera Breadなどのチェーン飲食店を保有するドイツ企業である。
どれもアメリカではポピュラーな全米チェーンだと思う。

クリスピー・クリームは、JAB傘下で再生し、本記事で書いているような店舗を再展開してきている。
現在のクリスピー・クリームのホームページには、300以上の支店がリストアップされている。

こう思うと、上場廃止とか企業買収というのも、良い形で行われることもあるのである。
あのおいしいドーナツを作っているチェーン・レストランの復活は、大歓迎である。

2021年7月にクリスピークリームは、NASDAQに上場を果たした。

参考サイト

以上、参考にしたのはウィキペディアの、主に”krispy kreme”の項目。
日本語版ではあまりアメリカ法人の情報がなかったので、英語版を読んだ。

更新履歴

  • 2021年3月15日 本サイトに移転。節見出しを付けた。ドーナツの自動正常コンベヤーの部分を写真入りで新しく書いた。クリスピー・クリームの歴史の節も追加した。
  • 2019年9月4日 Gooブログ「(旅行記。プエルトリコ、ニューオリンズとラスベガス。ひねもすのたり)」にて公開。

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