【ニューオリンズ紀行】ジャズの発祥地を訪れる―ベイズン・ストリート、ルイ・アームストロングのこと

ニューオリンズ2017

年末年始に家族で行ったニューオリンズ旅行のことを、何回かに分けて書いている。
今回は、ニューオリンズで発祥したジャズのこと、この町出身の天才音楽家ルイ・アームストロングのことを考えてみたい。
書いてみた後で思うのだが、今回は旅行記からはだいぶ脱線してしまった。次回はまた、普通の旅行記にもどるつもり。

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ルイ・アームストロング空港に降り立つ

ニューオリンズに降り立ち空港の出口に向かって歩いていると、壁にはジャズ・バンドの絵がかかっており、トランペットを構えたサッチモの像が迎えてくれた。


ニューオリンズはジャズが発祥した町であり、空港の名前もルイ・アームストロング国際空港なのである。

ルイ・アームストロングの音楽、その説得力、包容力、素晴らしさ

ルイ・アームストロングは20世紀の最も偉大な音楽家の一人だと言ったとして、意義を唱える人はいないだろう。
私は(他の多くのファンと同じく)1950年代以降のモダン・ジャズばかり聞くジャズ・ファンだ。
彼のジャズ演奏が古いニューオリンズ・スタイルでありながら素晴らしいことを認めながらも、たまにしか聞かない。

むしろ、もっとポップスの文脈の中で吹き込まれた晩年の歌唱のほうを親しみをもって聞くことが多い。
アームストロングが「素晴らしき世界」を吹き込んだのは、人類にとって貴重な財産だと思う。

私は、これほどやさしく包み込んでくれる音楽を、ほかに知らない。

ジャズ評論家の油井正一さんが、「ひどいだみ声のくせに、こんなに人を感動させてしまう」とラジオの番組で言っていたが、まさにその通り。
ただし困ったことは、アームストロングが歌ってしまうと、同じ歌を他の歌手が歌ったときに、全然物足りなく感じてしまうことが多いこと。

「星に願いを」は多くの歌手が歌いたがるけど、私にとっては面白くないことが多いのは、このサッチモ・バージョンの存在のせいだ。

もちろん晩年まで、ジャズをやっても素晴らしかった。

ジャズの歴史、発祥から大衆音楽に発展するまでのこと

現在でこそジャズは芸術音楽のジャンルとして立派に認識されているが、音楽としてのジャズが興り大衆音楽までに発展する過程はどうやら相当にキナ臭いものだったらしい。

もともとジャズは「ストーリーヴィル地区」と呼ばれたニューオリンズの赤線地帯で発祥したということである。
当時の売春宿の1階には必ずダンス・ホールがあり、そこで演奏され、発展したのがジャズなのだそうだ。

ニューオリンズがジャズの中心だったのは、ストーリーヴィルが閉鎖される1920年代前半までで、その後、ミュージシャンたちは仕事を求めて禁酒法下のギャングの闇酒屋に活動の場を移していく。
1920年代半ばにはシカゴに多くの演奏家が集まり、のちにジャズの中心はニューヨークに移った。

禁酒法が終わったのが1933年とのことだが、その後まもなく単なるダンス・ミュージックとしてでなく、真剣に聞きこむ音楽として認識されるようになった様子が、映画「ベニー・グッドマン物語」に描かれていた。

ベイズン・ストリート

現在のニューオリンズの一番の繁華街はバーボン・ストリートで、この通りにはストリップ・クラブが何軒も連なっている。
が、ストーリーヴィル時代の中心街はさらに3筋ほど北にある「ベイズン・ストリート」であったらしい。
「ベイズン・ストリート・ブルース」はアームストロングをはじめ多くのミュージシャンが吹き込んだ名曲だが、youtubeを見ていたら、マイルズ・デイヴィスも吹き込んでいたのには驚いた。

私はカナル・ストリート沿いに、ホテル街から3ブロックほど離れたベイズン・ストリートまで歩いて行ってみた。
夜のことで、電気が少なく人気も急になくなり、怖くなって引き返した。

昔のストーリーヴィルの方角はずいぶん暗い。

この方向に3ブロックほど進めば、観光客に人気の墓地があるとのことなのだが、ガイドブックには物騒な地域なのでガイドなしでこの界隈を散策するのは(昼間でも)お勧めしないとのことであった。
(帰国してから、GOOGLE EARTHで通り沿いに散策してみたが、それは大変面白かった。)

ルイ・アームストロングが終生、繰り返し大切に演奏した名曲に、「マホガニー・ホール・ストンプ」という曲がある。

この吹き込みバージョンは素晴らしいと思う。
youtubeのノートによると1929年吹き込みとのこと。
88年前のレコーディングだが、当時のレコードにしては音が明瞭で、なにより演奏のほうもアクセントが効いていて、全然古びていない。

今回調べてみたら、マホガニー・ホールもストーリーヴィル時代の売春宿の名前だそうで、ベイズン・ストリートのさっきの写真から2ブロック先くらいにあったとのことだった。

ジャズの王様の系譜

若いころのルイ・アームストロングをかわいがったバンドリーダーは”キング”・オリバーだった。
ニューオリンズがジャズの都だったころ、もっとも目立ったミュージシャンを「キング」の称号で呼ぶ習慣があった様子で、バディ・ボールデン、フレディ・ケパードに続きオリバーは3代目の王様だったという。

ルイ・アームストロングが師を抜かす日が来た。けれども、アームストロングは「キング」を名乗らなかった。

以降、腕に覚えのあるミュージシャンは、アームストロングにはかなわないので、公爵や伯爵を名乗ることで我慢したのだという。
デューク・エリントン、アール・ハインズ、カウント・ベイシーがそうだ。

というのも、油井正一さんがラジオで言っていた話。
若いころは音楽を聴くのも、関連書籍を読むのも、熱心だったし面白くて仕方がなかったな。

最後に、王様の残した歴史的名演の中でも私が最も好きな一曲。
90年近く昔の吹き込みのくせに、聞くたびに心を揺さぶられる名演だ。

ちなみに、ルイ・アームストロング・ホット・ファイフの1928年録音は、素晴らしい演奏ぞろいである。

ルイ・アームストロングは、ひとりでジャズを芸術の域にまで押し上げてしまったと評する人がいるが、真偽のほどは私には判断が着かない。
ただ、1928年のアームストロングが演っていた音楽は間違いなく、特上の芸術だと思う。

今回は、アームストロングの音楽を聴きながら、いろいろな知識をウィキペディアで確認したりしながら書いていたら、とても楽しくなって旅行記から完全に脱線してしまった。
そんななか、以下2つのページは面白く読ませてもらった。
初期のジャズ
ジャズの歴史にまつわる話

次回は、またふつうに旅行記に戻る。

更新履歴

  • 2021年2月21日 本サイトに移転。節見出しを付けた。
  • 2017年1月18日 Gooブログ「(旅行記。プエルトリコ、ニューオリンズとラスベガス。ひねもすのたり)」にて公開。

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