今年のお盆休みは、家族でカリブ海へ行った。
西インド諸島の中にあるプエルトリコの首都、サン・フアンが滞在地であった。
この旅行のことを、何回かに分けて旅行記に書いている。
3回めの今回からは、旧市街の観光について書く。とくに今回は、旧市街観光の起点として選んだ、植民地時代の歴史を体現する、重厚なサン・フェリペ・デル・モロ要塞について。
世界遺産サンフアンの歴史地区
プエルトリコは、西インド諸島である。
コロンブスが新大陸に到達して間もなく、スペインの植民地となった。
プエルトリコの首都サン・ファンの歴史地区も16-17世紀の建物が多く残る旧市街で、「ラ・フォルタレサとプエルトリコのサン・フアン歴史地区」として世界遺産にも登録されている。
ガイドブックなしだったものの素晴らしかったサンフアン歴史地区の散策
今回の私たちは、ガイドブックを持参するのを忘れてでかけ、ホテルの近所にも本屋が見当たらなかった。
ホテルでもらった街路地図と、ホテルの部屋でインターネットで調べて記憶していた情報、それにuber(タクシーみたいなもの)の運転手さんに教えてもらったことだけが頼りの観光であった。
やはり観光しながらその場で実物を見ながら、この建物が何百年前の建立なのかを知ることができるという意味で、ガイドブックはもって歩きたいものである。
とはいえ、サン・ファンの歴史地区の街並みはとても美しく、日照が強く気温も高い熱帯の夏の猛暑の中でも散策は素晴らしく楽しかった。
少なかったアジア系観光客、人懐っこいUBERドライバー
Isla Verde通りのホテル(El San Juan Hotelに滞在していた)から旧市街までは車で20分くらい。
プエルトリコではアジア系の観光客は珍しいようだ。滞在中にはほとんどアジア系の人を見かけなかった。もちろん現地人たちにはインディオの血が混じっているのだろうが。
uberの運転手も、私たちが日本から来ていることを知ると、珍しい国からの客に喜んでいた。ホテルでもらってきた旧市街の観光地図を一緒にみながらお薦めの名所を詳しく教えてくれた。
広々とした芝生がすがすがしいサン・フェリペ・デル・モロ要塞
uber運転手は、一番のお薦めはサン・フェリペ・デル・モロ砦だといい、その前で我々を下ろしてくれた。
砦の前は、広々とした芝生である。海風が強く、凧あげをしている人たちもいるのんびりとした風景だったが、とにかく日照が厳しく暑い。
野生のイグアナを発見‼
海辺の塀の上には、きっと野性なのだろう、イグアナが2匹、日向ぼっこをしていた。
ホテルのフロントで聞いたところでは、ホテル街でもイグアナが棲息しているらしい。
残念ながら、私たちは滞在中にイグアナはこの2匹しか見ることができなかった。
大航海時代の植民地を守ったデル・モロ要塞―歴史に思いを馳せながら要塞内を見学
街はずれから砦に向かう道は、神社や神殿に向かう参道のように、まっすぐ堂々とした舗道である。
500年前の兵士たちも毎朝、毎晩、この参道を通って勤務に向かったのだろうか。
砦は大砲時代の戦艦に備えた要塞で、400門ほどの大砲で他国の侵略に備えていたそうである。
要塞の壁は分厚く、見るからに頑丈である。実際、
16-17世紀にはイギリスやオランダとは大規模な戦いが行われたとのことであった。
青い海を背景にした美しい墓地
城塞の隣、海沿いには、古い墓地がある。
サン・フアンの旅行についてのウェブサイトには大抵、この墓地の写真が載っている。
19世紀にできた墓地で、サン・フアンの有力者たちが眠っているとのこと。意外に歴史が浅いものの、大変美しい墓地である。
熱暑の中のデル・モロ砦の散策
砦のあたりを私たちは1時間ほど散策した。
本当はもっと奥まで順路が続いていたし、海辺の墓地に降りていく舗道もあった。
要塞から総督府まで1kmほどの道のりを散歩できる海辺の遊歩道もあった。
プエルトリコは北緯18度。8月の首都サンフアンは日差しが猛烈な熱暑であった。
私たちの散策した短い距離であっても、30度を超える気温と容赦のない直射日光のなかの散歩だったため、頭がボーっとしてしまった。砦を出てから街の入口に戻ったとたんに、ドリンク売りのスタンドで家族3人、皆でミネラルウォーターに飛びついたものである。
さぞかし美しいであろう遊歩道をフルに楽しむことができなかったのは残念とはいえ、デル・モロ砦はとても素晴らしい史跡だった。
引き続き、サン・フアンの旧市街をトロリーや徒歩で散策、古い教会や総督府のまえまで行って見たことは、次回の記事をお楽しみください。
更新履歴
- 2021年2月23日 本サイトに移転。節見出しを付けた。
- 2017年9月3日 Gooブログ「(旅行記。プエルトリコ、ニューオリンズとラスベガス。ひねもすのたり)」にて公開。
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