アメリカの気ままなロード・トリップは道路わきの観光案内がガイド
春に行ったシカゴ発のナイアガラへのドライブ旅行のことを書いてきたが、今回でおしまい。
アメリカの高速道路は、観光名所の案内が多い。国立公園や州立公園はもちろん、史跡、名勝など、名所の名前と降り口だけ書いた茶色い看板が、高速道路の路肩には頻繁に立っている。
そして、都市部を除けばアメリカの高速道路はどこも通行料金が無料だから、初めて聞いた名所であっても、その場の興味でちょっと寄ってみるということも、アメリカのロード・トリップの醍醐味なのだと思う。(宿泊ありのドライブ旅行のこと、「ロード・トリップ」と呼んだほうが感じがでる気がする)
オハイオ州ミランにある発明王エジソンの生家
ナイアガラからの帰り道はエリー湖の南岸を通りながらの道中であった。
クリーブランドを50kmほど過ぎたあたりで、道路わきに「エジソンの生誕地」という看板が私たちの目を引いた。(地図中には表示されていないが、クリーブランドとトリードのちょうど中間あたり)
ちょうど運転に飽きてきたころだったから、寄ってみてもよいかと聞いたところ、妻も乗り気だった。小学校3年生の息子も、エジソンが電球を発明した発明王だということは習って知っているという。
高速道路を降りて2-3kmほど、すこし丘を登るドライブをしたところに、エジソンの生誕地であるオハイオ州ミランの町はある。
町といっても、大きな広場に面して図書館、郵便局、レストランや教会などが並ぶ一角からひとブロックも外れると、こんな様子の町である。
どっしりしたレンガ造りエジソンの生家
この道を50~100mくらい進んだところににエジソンの生家はあった。
家はいまでは、博物館になっているそうなのだが、残念ながらわれわれが到着したのは閉館後であった。
裏に回ると、家は屋根裏付きの2階建てであり、立派な構えの家である。伝記で読んだエジソンの実家がつつましくすこし貧しい印象だったので、びっくりしてしまった。
2階の窓に埋め込まれたプレートには、「誕生した部屋」としっかり書いてある。
家の前は崖が広がっている。
実は家の前に車を停めたところに警官がやって来て、私たちにちょっとだけ話しかけて行った。彼がこの辺りは孔雀が出るよ、と教えてくれたものだから、しばし探してみたが、この時は残念ながらいなかった。
エジソンが生まれたミランの町
エジソンの生家から、ミランの町に戻る。
先にも述べた通り、町の中心は立派な広場である。
広場の中心には2mほどのオペリスクが立っている。
子供時代のエジソンと母親の銅像
もっと目立つ、広場の正面入り口には、少年の日のエジソンが、お母さんと一緒に銅像になっているのである。
エジソンは好奇心が強くなんでも質問して大人を困らせるし、規律も守れない子なので、最後には小学校を放校されたということだった。
小学校を追い出されたあとも息子の可能性を信じ、辛抱強く自分自身で教育を施したという母親と、未来を望む少年のまなざしがとても素敵だと思った。
電球と蓄電器―発明王の銅像
広場に面して、立派な市役所(それとも教会?)もある。
そして、教会の前には、発明王エジソンの銅像が、左手に蓄音機を抱え右手には電球を掲げて、母子の像の方を向いて立っている。
子供のころ、そもそも本を読むのが嫌いだった私は、しぶしぶ読むにしても物語ばかりを選んだ。しかし、エジソンの伝記だけは面白かったのだろう、いまでも内容をよく覚えている。
その場の思いつきによる小一時間の小休止に過ぎなかったにしては、ずいぶん思い出深い寄り道だった。
更新履歴
- 2021年2月15日 本サイトに移転。節見出しを付けた。
- 2019年9月11日 Gooブログ「(旅行記。プエルトリコ、ニューオリンズとラスベガス。ひねもすのたり)」にて公開。
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