年末年始に家族で行ったニューオリンズ旅行のことを、何回かに分けて書いている。
今回は、滞在中に何度か散策した、ジャクソン・スクエア界隈のことを書いてみたい。
フレンチ・クォーターの中心、ジャクソン・スクエアとセントルイス教会
ニューオリンズの歴史地区であるフレンチ・クオーターの中心部には、ジャクソン・スクエアという美しい公園がある。
公園に面しては、セントルイス教会という立派な教会もある。
何代か前のローマ法王だったヨハネ・パウロ2世も訪問したことのある教会だそうである。
ニューオリンズの町を歩いていると、角を曲がったとたんにこの教会の尖塔がかなたに突然現れ、静かで美しいたたずまいについウットリしてしまったりする。
第7代米大統領アンドリュー・ジャクソン
公園の中央には乗馬しているアンドリュー・ジャクソンの銅像があり、教会の尖塔を背景にしたその精悍な姿は実にすがすがしい。
実は私は、この記事を書くために調べるまで、公園の名称を「ジェファソン・スクエア」と勘違いして覚えこんでいたようだ。
トマス・ジェファソンはアメリカ合衆国の独立宣言を起草し第3代大統領を務めた人で、アメリカでは絶大な人気がある。
一方のアンドリュー・ジャクソンは第7代大統領だ。こちらも人気があるようで、アメリカではどこの町にも必ずジャクソン・アヴェニューがある。アメリカでもっとも使い勝手の良い高額紙幣は20ドル札だが、20ドル札の肖像はジャクソンである。
が、これまで私は何をした人かを知らなかった。
さっきウィキペディアを見たかぎりでは、初めての田舎出身(北部13州でなく、カロライナ出身だとか)の大統領だったという以外は、人種差別主義者でインディアンをたくさん虐殺したことばかりが印象に残った。
時代が違うので、今の感覚で200年前の人種差別主義を軽蔑するのは筋違いなのかもしれないが、騎乗の姿が凛々しかっただけに、ガックリしてしまった。。。
ジャクソン・スクエアは芸術スクエア
このジャクソン・スクエアのまわりは観光客が多く集まり、絵画を売る画家たち、占い師たちや、大道芸人、ジャズバンドが芸を競っていてとても賑やかだ。
カフェ・デュ・モンドのチコリ・フレーバー・コーヒーで一息
ニューオリンズに過去に滞在した人々のブログを見せてもらうと、ジャクソン・スクエアに隣り合わせたカフェ・デュ・モンのチコリ・フレーバー・コーヒーと一緒に、ベニエと呼ぶ菓子パンを食べるのが定番なのだそうだ。
チコリ・コーヒーはコーヒーのフレーバーを感じることができないくらいにとても苦い。
ベニエのほうは、食べながらむせてしまうくらいにふんだんに粉砂糖を振りかけたとても甘いドーナツだ。
あまりに粉砂糖が多いものだから、店員さんのズボンのお尻がみんな白く汚れているのもおかしかった。
ニューオリンズの人々はよほど眠気を我慢して起きていなくてはいけない事情があるのだろうか、と思いながら食べたが、とても疲れがとれ、不思議にリフレッシュできる取り合わせだった。
このカフェ、いつも長蛇の行列ができていたのだが、たいへん回転がよいようで席に案内されるまではたいして待たないですむようだ。
歴史ある建物が集まるフレンチ・クォーター界隈
フレンチ・クオーターのなかでも、公園の周囲はとくに歴史を感じされる建物が多く、風情がある。
テネシー・ウィリアムズが「欲望という名の電車」を書いたアパート
そんな一郭にある、ある建物にこんなプレートが掲示されている:
曰く、「1946-1947年の間、テネシー・ウィリアムズはこの建物に住み、そして「欲望という名の電車」を執筆した」。
「欲望という名の電車」は、私は大学1年生のころの英語の授業で読まされた本である。
先生は授業にビデオも持ち込み、エリア・カザンが監督した映画を上映しては、この戯曲の素晴らしさを熱っぽく語っていた。
私も「読まされた」というよりは、夢中で読んだ。私は物語も映画も大変素晴らしいものだと思ったし、「欲望という名の電車」は私が映画が大好きになるきっかけになった映画のひとつである。
建物は一階が土産物屋になっていたほか、2階のベランダが通りから見上げられるだけだったが、思いがけずに名作が執筆された家を発見し、私は感無量であった。
(正直にいうと、この戯曲はいつも紺碧の空が広がる気候の中で、作家が貧困の生活を送る中で書かれたものだと勝手に想像していた。だから、こんな町の一等地の小奇麗な建物が執筆の場であったというのはすこし意外ではあったのだが。。。)
更新履歴
- 2021年2月21日 本サイトに移転。節見出しを付けた。
- 2017年1月16日 Gooブログ「(旅行記。プエルトリコ、ニューオリンズとラスベガス。ひねもすのたり)」にて公開。
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