今年のお盆休みは、家族でカリブ海へ行った。
西インド諸島の中にあるプエルトリコの首都、サン・フアンが滞在地であったこの旅行のことを、何回かに分けて旅行記に書いている。
前回はサン・フアン旧市街観光の起点だったデル・モロ砦について書いたが、今回はそのあと乗ったトロリーバスでのびっくりのハプニングについて。
熱暑の中の散策の後、放心状態
午前中にスペイン植民地時代のデル・モロ砦の史跡を見学したあと、私たち家族は猛暑の中、頭がボーっとしフラフラになっていた。
ドリンクスタンドで販売していたミネラルウォーターに3人とも飛びついたのだった。
私が次に見に行きたい総督府や教会はほんの5ブロックほど先だったのだが、妻も6歳の息子も、放心状態みたいな感じで歩く気にならないようだった。
熱暑の中、トロリーがバス停をスルーして過ぎ去っていくガッカリ感
サン・フアンの旧市街では、観光客が無料で乗車できるトロリーバスが走っている。
私たち家族も含め、30-40人ほどのの観光客が砦の参道を街側までもどったバス停でトロリーを待っていた。
ものすごい暑さのなかで30分ほど待った後、ようやく一台のトロリーがやって来た。
が、満杯だったこのバスは私たちの前はスルーして行ってしまった。
どうやら砦の前が始発だったようで、トロリーはそちらに移動した。
先ほどのトロリーバスは砦の前で乗客を降ろした。
さらに5分ほど経ってトロリーバスが砦の前を出発し、私たちのバス停にもどってきた。
けれども、私たちより後に砦の観光を終えた観光客で満杯になっており、バスは再び私たちの前をスルーしていってしまった。。。
このときの我々一同の落胆と憤りといったら!
日本やアメリカではめったにないくらい要領の悪いことが起こったのは間違いのないことだし、なによりとても暑かったのである。(私の感覚では、東京の一年中でもっとも暑い日よりもさらに日差しも気温も暑かった)
心地よい涼風に体が休まる無料トロリー・ライド
その後さらに10分ほど待ったろうか。
次のトロリーがやってき、これには我々全員がのることができた。
トロリーはぜいぜい時速20㎞くらいまでだろう、あまり速度はあげないものの、客席の側面がオープンで、熱暑の中を歩き回ったあとの私たちには風がとても心地よかった。
本当はもっと早くにバスを降りるつもりだったが、気持ちのよい休憩にもなったので、ゆっくりドライブを楽しんだ。
バスは港や商業地区、博物館や国会議事堂の前を走り、私たちは町の雰囲気を存分に楽しんだ。
突然の爆発音に乗客全員の表情が凍り付く
バスがちょうど議事堂を過ぎたときのこと。突然パーンという耳をつんざくような轟音が鳴り響いた。
ISILが暴れ狂う物騒な昨今のことであり、無防備なトロリーバスである。
我々乗客はみな、不安な表情になり、状況を理解しようと慌てた。
が、街の様子はいたって平穏なままだ。
ただ、バスのスピードが落ち、バスの床が傾き左側が心持ち沈んでいる。
「タイヤのバーストだな」誰かがぼそっと口にした。乗客の緊張が一斉にほぐれ、皆がゲラゲラ笑いだした。
アメリカの自治領であり、完全にアメリカ合衆国ではないプエルトリコ
ヨーロッパ人のアメリカへの入植以来ずっとスペイン領だったプエルトリコは、19世紀の終わりの米西戦争によりアメリカ合衆国の属領となり現在に至る。
だから、アメリカ人の観光客も多いのだろうと推察する。
実際我々が滞在したホテルも、アメリカ系のホテルが林立するリゾートホテル街にあった。
アメリカ資本が入り込んでいる以上、多くの場合、先進国並みの円滑なサービスを享受できる。
けれども、トロリーバスの待合の優先順位にみるようにずいぶんドンくさい側面もまだまだ残っているようである。
ホテルのフロントで路線バスについてたずねたところでは、渋滞などがある上に、ちゃんとした理由なしの「間引き運転」などもするので時刻表はあてにできないとのことであった。
トロリーバスのパンクも、整備不良のせいなのだろうし、それは日本などではよほど起こらないことでもある。けれども、おかげで思いがけない楽しい思い出となった。
世界情勢の急速な変化
2021年2月追記
この記事を書いた2017年夏には、まだISILの勢力が強かったころだった。
中東への渡航は控えるよう勧告が出ていたころだったし、パリの同時多発テロやニースのテロ事件の記憶が新しいころだった。
その後、ISILは制圧されたが、2021年現在はコロナ感染症のパンデミックでもっと広い範囲で渡航だけでなく生活にも制限がかかっている。
更新履歴
- 2021年2月23日 本サイトに移転。節見出しを付けた。
- 2017年9月3日 Gooブログ「(旅行記。プエルトリコ、ニューオリンズとラスベガス。ひねもすのたり)」にて公開。
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